こんにちは。
心理カウンセラーのここみです。
完璧主義や人間関係の悩み、上がり症などに苦しむ人が、本来持っている心の力を最大限に引き出すためのカウンセリングを行っています。
そんなわたしもかつては、自分自身を見失い、生きづらさを感じていました。
今では本来自分が持っている心の力を使いながら、自分のペースで生きることができています。
どんな道のりで変わることができたのか詳しいプロフィールはこちらです。

「私は愛されない」幼少期の満たされない想い

私の生きづらさの原点は、幼い頃の体験にあったのかもしれません。
両親は共働きで、毎日忙しく働きながら私を育ててくれていました。
その姿を子どもながらにわかっていたつもりでしたが、心の奥にはいつもこう思っていました。
「もっと私を見てほしい」
「一緒に遊びたかった」
「抱きしめてほしかった」
そうした小さな願いが叶えられない日々は、静かな寂しさとなって、私の中に降り積もっていきました。
そうして私は、「私は愛されないんだ」と思い込むようになっていったのです。
人との関わりがわからない小学生時代

そんなある日、小学校での出来事が、心に深い傷を残しました。
毎日のように一緒に登校していた友達に、「絶対に言わないでね」と打ち明けた大切な話を、あっさりと他の子に知られてしまったのです。
「なんで……?」
裏切られたような気持ちで、胸がいっぱいになりました。
でも、その怒りも悲しみも、誰にも言えず、ただひとりで抱えるしかありませんでした。
心の奥で、こう思ってしまったのです。
「人は、信じちゃいけない」
親からの愛情を感じられなかったこと。
友達に裏切られたこと。
本当は別々の出来事だったのに、私の中ではどこかがつながっていました。
「私は愛されない」
「人を信じると、傷つく」
「だったら、最初から心を開かなければいい」
そうして私は、少しずつ本音を話すことをやめていきました。
クラスメイトとどう関わればいいかわからず、距離をとるようになり、「何を話せばいいんだろう?」「どう振る舞えばいいのだろう?」と考え続けては、答えの出ないまま、自分を閉じていきました。
そんな中、明るく人気のある子たちが先生に可愛がられているのを見て、うらやましさと、取り残されたような孤独感が心にじわじわと広がっていきました。
それでも、「みじめな自分」を認めたくなくて私はますます人との関わりを避け、「人に心を開かないほうが、自分を守れる」と思うようになったのです。
そして、完璧主義の始まり
その頃から、私はどんどん「正しさ」や「完璧さ」へのこだわりを強めていきました。
友達のちょっとした言葉に傷つき、それが許せない。
間違いや不公平が大嫌いで、「曲がったことは許せない」と心の中で常にジャッジしてしまう。
完璧じゃないこと=間違い、と決めつけていたのです。
気づけば私は、いつも「正解」ばかりを求めていました。
自分の気持ちも、相手の気持ちも、後回し。
それがどんどん、楽しさや自由を奪っていきました。
「何をしても楽しくない」「なぜか満たされない」──そんな感覚が、いつしか日常の一部になっていったのです。
青春を楽しみたいのに、楽しめない学生時代

生きづらさを感じ続けた10年
中学・高校・大学と、本来なら仲間と励まし合いながら成長していけるはずの大切な時期。
でも私にとっては、何をしてもうまくいかない、苦しい時間でした。
周囲との協力の仕方がわからず、うまくいかない理由をどこか他人のせいにしてしまう。
部活も、勉強も、夢中になれない。
心のどこかでは「頑張りたい」と思っていたのに、うまく自分を出すことができませんでした。
自分の気持ちは、いつも置き去りでした。
「ちゃんとしなきゃ」
「結果を出さなきゃ」
「完璧じゃないと認められない」
そんな思考がいつの間にか自分を支配し、自分の価値は成果で決まると思い込んでいたのです。
一番の後悔は、学生時代にしかできない「仲間と何かに夢中で取り組む経験」がなかったこと。
今振り返っても、「私は何がしたかったんだろう」とわからないくらい、ただただ苦しくて、孤独な時間だったと思います。
それはきっと、もっとずっと前──幼少期から積み重なっていた、満たされない想いや寂しさ、「今を楽しむ力」の欠如があったからかもしれません。
社会人になっても「自分で自分を苦しめる」苦悩からの出口が見えない

社会人になっても、心は子どものままだった
社会に出てからも、生きづらさは消えませんでした。
むしろ、立場や責任が増えるほど、自分を追い込む気持ちは強くなっていきました。
私はいつも「どう評価されるか」にばかり意識が向いていました。
褒められれば嬉しい。けれど、少しのミスで激しく落ち込む。
完璧じゃなければ、自分には価値がない──そう思っていました。
他人にも厳しくなり、予定の変更にイライラしたり、体調不良で休んだ同僚に冷たい目を向けてしまうことさえありました。
そんな毎日を繰り返していたある日、突然「上がり症」の症状が現れたのです。
人前で話すときに、手が震える、頭が真っ白になる──。
自分でも信じられないほどの不安と恐怖に、心が支配されていきました。
「こんな自分は見られたくない」
「かっこ悪い姿なんて絶対にダメ」
評価されることだけを支えにしていた私は、どんどん追い詰められていき、
ついに、15年続けた仕事を手放しました。
一言でいえば「逃げた」のかもしれません。
でも、今思えば──あの出来事こそが、私にとって人生の転機でした。
心理学・カウンセリングとの出会い

言葉との出会い
「どんな感情にも意味がある。感じることを否定しないで」
その言葉に、張り詰めていた心が少しゆるむのを感じました。
「ネガティブな感情は感じちゃいけない」
「いつも前向きでいないといけない」
そう思い込んできた私にとって、この言葉は衝撃でした。
それをきっかけに、カウンセリングを受けてみました。
最初は抵抗があったけれど、自分が変わる事への期待で勇気を出すことができました。
話すうちに、自分の中にあった感情が少しずつ顔を出してきて、「こんなふうに感じていたんだ」と、自分自身に驚くことばかりでした。と、同時に涙が止まりませんでした。
誰かに受け止めてもらえることで、心がほどける。そんな体験を初めて知った瞬間でした。
自分を許し、大切にする感情の芽生え
そこから、私はゆっくりと自分の心と向き合っていきました。
完璧じゃなくてもいい。
人に頼ってもいい。
間違えても、大丈夫。
そう思える瞬間が、少しずつ増えていったんです。
そうして、心の奥で望んでいた「自由」が見えてきました。
「自由」な気もちで周囲を見渡してみると、人の温かさを感じ、自分を大切にしたい気持ちが湧いてきました。
自分の経験を活かして、心の力を最大限に引き出すためのカウンセリングを提供しています

私は、かつての自分のように、
「完璧主義で生きづらい」
「人といると疲れる」
「生きづらさの正体がわからない」
「本音を言えずに苦しい」
そんな悩みを抱えている方にこそ、安心して話せる場所が必要だと感じています。
カウンセリングは、決して特別な人が受けるものではありません。
本当の気持ちに耳を傾け、自分をゆるし、少しずつラクになっていく──そんな小さな回復の一歩を踏み出せる、自分のための時間です。
誰にも言えずに抱え込んでいる苦しさがあるのなら、その気持ちを、ここで少しずつ話してみませんか?
あなたの中にある「変わりたい」という想いに、私は寄り添い続けます。
あなた自身が、自分の一番の味方になれるように。
そのお手伝いができたら、こんなに嬉しいことはありません。
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