プロフィール

こんにちは

マインドパフォーマンスメソッド
心理カウンセラー 心実(ここみ)です。




・もっと愛されたいのに、愛されない
・人を信用できない
・人とどう関わってよいのかわからない
・「完璧主義」で自分を苦しめている
・他人の評価が気になり、本当の自分を見失っていた
・頑張っているのに、なぜか満たされない

・とにかく生きづらさを感じる




35年も人間関係に悩み続け、完璧主義やこうあるべきに縛られ続けた私。

そんな日々を抜け出したくて、

私は 自分自身と向き合うこと を決意しました。

蓋をしていた感情を解放することは、最初は苦しかったです。


しかし、過去のネガティブな感情に寄りそうことで、心の傷が癒され、安心の土台を作ることができました。


その経験をもとに生まれたのが 「マインドパフォーマンスメソッド」 です。


安心の土台を作ることで、本来の心の力を最大限に発揮できるためのメソッドです。


私もかつては「変わりたいのに、変われない」と
苦しんでいたひとり です。


どうして私は、こんなにも生きづらかったのか?


それをどうやって、

自分らしい心を取り戻したのか?


その道のりをご覧ください。

両親と姉の4人で暮らしていましたが、生活は苦しく、両親は毎日を生きることで精一杯でした。


そんな環境の中で、私はいつも寂しさを感じていました。

甘えたくても、両親は忙しく動き、私に向けられる時間はほとんどなかったです。


「もっとこっちを見て欲しい」
「愛してほしい」

けれど、その思いが届くことはなく、


いつしか 「私は愛されないんだ」 という感覚が、心の奥に深くに刻まれていきました。

「私は愛されない」そんな思いを抱えたまま、成長していきました。


友達ができても、どこかで
「この子は本当に私のことを大切に思ってくれているのかな?」 という不安がつきまとっていたのだと思います。

ある日、毎日一緒に学校に行っていた友達に「絶対に言わないでね」と約束して話したことが、あっさりと他の子に知られてしまいました。

「なんで……?」

ショックと怒りで胸がいっぱいになったけれど、 誰にも言えず、一人で抱え込むしかなかったです。


心のどこかで 「やっぱり、人は信じちゃいけないんだ」 と思っている自分がいました。

親からの愛情を感じられなかったこと。
友達に裏切られたこと。


どちらも違う出来事のはずなのに、
私の中ではつながっていたのかもしれません。

「私は大切にされない」
「人を信じることができない」
「だったら、最初から心を開かなければいい」

そんなふうに思うようになり、私は少しずつ本音を話すことをやめていきました—。

それから、私は 本音を話すことをやめ、周囲に対して心を閉ざしていきます。


クラスメイトと、どうやって仲良くなればいいのかもわからない。


私は何を話せばいい? どう振る舞えばいい?


答えが見つからず、考えないようにしていました。


そんな中、明るい子や先生に気に入られている子をみて、


うらやましい気持ちと、孤独感が募っていきました。

そして、そんな自分をみじめに思う気持ちを
押し殺すように、ますます人を遠ざけていきました。

そんな私が唯一、人から認められる瞬間がありました。


それは スポーツで結果を出したときです。
陸上の大会で優勝したとき。バスケットボールの試合で活躍したとき。

そのときだけは、周りが私を見てくれる気がしました。

「すごいね!」
「頑張ったね!」

そう言われるたびに、心の奥が少しだけ満たされるような気がしました。

「結果を出せば、人は私を見てくれる。」
「1位を取れば、完璧なら、私は認められる。」

そう思うようになってから、私は 結果にこだわるようになりました。


1位じゃないと意味がない。
結果がすべて。

そんな考えが、少しずつ私の中で大きくなっていいきました。

でも、気づいたときには、私はもう 「頑張りたいから頑張る」のではなく、
「頑張らなければならない」 という気持ちに縛られていました。


頑張り続けなければ、私はまた 「誰からも見てもらえない存在」 に戻ってしまう。


そんなやりきれない気持ちを抱えながら、私はひたすら走り続けていました。

中学に入ると、陸上部に入部しました。

スポーツで結果を出すことでまた認められるはずでしたが、思うような結果が出ませんでした。


すると他人だけでなく、自分を信じられなくなっていきました。

また、部活を通して、仲間と切磋琢磨しながら成長していく事に希望をもっていました。


けれど、仲間と、どう関わっていいのかわからず、満たされない3年間を過ごしました。


高校では、なぎなた部に入部し、「今度こそ」、と胸を膨らませていました。


みんなで夢を語ったり、悩みを打ち明けたり、恋愛の話をしたりそんな「高校生らしい時間」に憧れていました。

でも、いざその場にいても、どうすればいいのかわからなかったのです。


遠征や合宿を通して、仲間と過ごす時間が
増えたと同時に、苦悩が増していることにきづきました。

「仲間になりたい」と思いながらも、
心の奥では、「どうせ私は人に受け入れられない」
という気持ちがくすぶり続けていました。

結局、私は 「結果を出すこと」以外の方法が見つからず、ひたすら結果にこだわり続けました。



「勝てば、認められる。」


そう思い込むことで、自分の居場所を作ろうとしていたのかもしれないです。

けれど、どれだけ頑張っても圧倒的に勝つことはできませんでした。


勝つことができないだけでなく、仲間との亀裂もできていました。


挙句の果てに、部活と両立してきた勉強で結果が出ずに、大学受験に失敗しました。

「こんなに頑張っても、ダメだった。」


ショックでしたが、心機一転、新たな自分出会える期待感を持つことができました。


私にとって、新たな自分とは、
完璧主義を一旦忘れ、周りに合わせることで
「普通の学生」になろうとすることでした。

でもそこには、別の生きづらさがありました。

無理に人に合わせたり、
大人にならなきゃという焦りでした。

結局、私は 「本当の自分」を見失ったまま、必死に「普通の人」を演じようとしていたのです。

「結果を出すこと」から解放されたはずのに、なぜか心は楽にならなかったのです。


ずっと何かを追い求めて、「本当の自分」からどんどん遠ざかっていきます。


社会人になっても
「自分で自分を苦しめる」
苦悩からの出口が見えない

社会人になると、忘れかけていた完璧主義が目を覚まし、本領発揮と言わんばかりに自分を縛り付けます。


そして、「こうあるべき」という眠っていた感情も、どんどん強くなっていきます。

社会人は自分の仕事を全うすべき。
多少の体調不良で休むなんて、弱い人間のすることだ。


どんなにきつくても、休まず出勤することが正義。


だから、同僚が体調不良で休むと、
「どうして? 私も頑張っているんだから、あなたも頑張ってよ」と苛立ちを覚えた。


仕事だけでなく、あらゆる場面で「こうあるべき」にこだわるようになっていきました。


「こうあるべき」という考えは
自分が見ている世界の
ありとあらゆる場面で影響を及ぼしていきます。



電車で貧乏ゆすりをしている人を見ると、「公衆の場でそんなことをするなんて、落ち着きがなくてだらしない」と強く非難した。


太っている人を見ると、「自己管理ができていない証拠だ」と決めつけた。


努力をしない人、規律を守らない人、怠ける人、そんな「自分が考えているあるべき姿」から外れた人を見ると、許せない気持ちになった。

けれど、その厳しさは、結局、自分自身にも向けられていました。


どれだけ努力しても、満たされなくて本当に苦しかったです。


自分が正しい。こうあるべき。という考えはさらに悪化の一途をたどります。


気が付くと「人から良く思われたい」「評価されたい」という気持ちが自分を縛り付けていました。

職場では、常に周囲の目を気にしていました。


上司から評価され、同僚から「すごい」「かっこいい」と思われることが何より大事になっていました。



どれだけ疲れていても弱音は吐かない。


どれだけ余裕がなくても、堂々としていなければならなかった。


そうやって、完璧な自分を演じ続けていました。



「本当はどうしたいのか」なんて、考える余裕がなく、本来の自分を見失っていきました。


そんなある日、職場でスピーチをする機会が訪れます。


人前で話すこと自体には慣れていたはずなのに、その日は違っていました。

声が明らかに震えていました。


話しながら、「どうしたんだろう」「明日から社内で歩けない」と感じていました。

終わった後も、頭の中で反芻するのは「恥ずかしい」という言葉だけです。


いつからだろう。
こんなにも 人の目が怖くなったのは。


いつからだろう。
こんなにも 本当の自分がわからなくなったのは。


完璧でいるはずだったのに、どこかで何かが狂い始めていました。



スピーチで声が震え、頭が真っ白になったあの日から、私は上がり症に囚われ始めました。


自信がない。人前で話すことが怖い。

「こんなはずじゃなかった」

完璧でいたはずなのに、なぜかうまくいかない。


築き上げたはずのものが、どんどん崩れていく感覚。

でも、このままじゃいけない。どうにかしなきゃ。恥ずかしい。


そう思った私は、上がり症を克服する方法を必死で探し始めました。


本を読んだりネットで調べたり、セミナーにも申し込みました。

あるとき、受けたセミナーの面談で、
「上がり症を克服したいです。」
と言おうと思っていたのに、


「…人前に立つのが怖くて」という言葉が最初に出たことがあったんです。


たったそれだけの言葉なのに、なぜか涙が溢れました。


35年以上、人を遠ざけて生きてきた私が、目の前の人を信頼し、助けを求めた瞬間でした。

その日を境に、私はもう一歩踏み出すことができました。


ただ「上がり症を治したい」と思っていたはずなのに、気づけば 、ずっと目を背けてきた自分の本当の気持ちと向き合っていました。



苦しかったけれど、幼少期の出来事を丁寧に紐解いていきました。


私は、人を信用していない。だから、自分のことも信用できない。


「確かにそうだ」妙な納得と同時にショックでした。



これまで、人を遠ざけ、自分を認めず、完璧にこなすことだけを考えて生きてきた根本には両親から「愛されない」「認められない」があったことにも気づきました。



「こうあるべき」と自分を厳しく律し、完璧でなければならないと必死に頑張ってきたのは、
「完璧でなければ、誰からも認めてもらえない」という思い込みでした。


その思い込みこそが、私をずっと縛りつけていた感情の正体でした。



もの心ついたころから「寂しさ」や「生きづらさ」を感じてきた正体に気づいたころには40歳を超えていました。


約35年間、、人間関係に悩み「生きづらさ」を感じていました。


「人の目が怖い」という思いから「上がり症」になり、病んでいましたが、それよりも大切なものに気づきました。

「まずは、自分にとっての“安心の土台”を築くことが大切。」

愛されない気持ちや、満たされない思いを抱えたままでは、どんなに「上がり症を克服しよう」と努力しても、解決しないと感じました。


私は 「上がり症克服」ではなく、上がり症を引き起こした心の奥底の問題と向き合うという考えにシフトしていきました。


まずは、自分の気持ちを満たし、安心の土台を築くことからやっていこうと思えてからは、なんだか、楽になりました。


「悩みが消えたわけじゃない。」

「でも、もう大丈夫。」

これからも人前で話すときは
緊張するかもしれない。
でも、それでいい。

「緊張してもいい。」
「完璧じゃなくてもいい。」

私を長年苦しめていた 「こうあるべき」 が、
そっと緩んでいきました。


そして、心の奥で望んでいた「自由」がなんとなく見えてきました。

「人間関係は苦しいもの」ずっとそう思っていました。


裏切られるのが怖くて、人と深く関わることを避けてきました。


結果を求めれば求める程、孤独でした。


頑張っても満たされず、他人の評価ばかり気にして、「どう思われるか」 に縛られていたのです。


「人にどう思われるか」ではなく、
「自分の満たされない想い」を満たしていく事が大事、ということに気づくことができました。



自分を満たすことに目を向け始めると、今までの悩み、苦しみがうそのように、人の温かみを感じることができました。


本当はこの35年もの間、人は温かかったのだろうと思います。


だけど自分を満たすことができていなくて、
それに気づく心が整っていなかっただけでした。



気づけたことで、見えた世界は、人間関係は穏やかで、自由なものでした。



35年間、人間関係の悩みや完璧主義、上がり症に苦しんできた私だからこそ伝えられることがあります。


自分を満たし安心の土台を作ることができれば、 不安や恐怖に振り回されることなく、自由で穏やかな人間関係が築けるのです。

自分の経験を活かして
「マインドパフォーマンスメソッドメソッド」を生みだした


人間関係がストレスで、人とどうかかわっていいのかわからない


「こうあるべき」に縛られ、満たされない毎日を過ごしている


他人の評価を気にして、本当の自分を見失っている


あなたへ

私も、まったく同じところにいました。


でも、自分の感情を知り、癒すことで、そこから抜け出すことはできます。

あなたも、自分を苦しめているこだわりを手放し
「心の力」を最大限に引き出せる生き方 を手に入れてみませんか?


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